
思い返してみると、私が腹を立てる時は、他人から馬鹿にされたと感じた時ぐらいだ。
相手に悪意があって侮辱してきたことは数える程しかない。ほとんどは、相手も無意識に発した言葉に対しての事が多かった。
馬鹿にされたと感じる感覚というのは、人によって許容度は異なると思うが、私は敏感な方だ。
とりわけ、自分では努力しているつもりの事で、努力が足りないと文句を言われた時などは、かなり不機嫌になってしまう。
この間も鬼嫁に腹が立った事があった。私は掃除機をかけたり、食べ終わった食器をよく洗ったりしているのだが、鬼嫁が昼間外出した日、ベランダに干した洗濯物を取り込み忘れてしまったことがあった。帰宅した鬼嫁から、「あなたは家事のこと何にもしないね」みたいな言われ方をしてカチンときてしまった。
相手に悪意があって侮辱してくる時は、大体が嫉妬の場合だったので、不快感を胸の内に抑えることが出来た。
それに比べて、相手の何気ない一言は、その言葉の中に相手の本音を垣間見てしまった驚きとともに、埋めることの出来ない溝のような隔たり、そして相手の変わることのない生来の性分を同時に感じて衝撃が大きいのだ。
そういう時、私は怒りとともに、寂しさも感じてしまう。
「この人は私のことを良く見ていない」
「この人は私のことを軽く見ている」
しかし、怒ってばかりはいられない。相手から軽く見られるのは、私の方にも原因があると思うからだ。
それは、相手から重要視される程の器でないからだ。大した仕事もしていない。大した稼ぎもない。大した器量でもない。それに加えて面白みもない無口な性格の亭主では、軽く見られても仕方がない。
私が思っている自分の姿と、鬼嫁から見た私の姿は、かなりの落差があるに違いない。
この落差を埋めるには、相手の意識を変えるより、私自身の器を充実されるしか方法はない。
器を充実させるにはどうしたらいいか?
私に考えられたのは、何かに夢中になって打ち込むことだとだった。真剣に取り組んでいる人を、他人は馬鹿にできないはずだと思った。
これまで私は夢中になることは何もなかった。せいぜいが韓流ドラマの愛憎劇を観ていることぐらいだった。
何かに夢中に打ち込む、これが私のプライドを守る唯一の方法だ。
コメント