
私の醜い部分はまだある。全く私とは関係ない他人の成功を妬ましく思ってしまうのだ。
これは私が自分の人生に不満を抱えていることの裏返しなのだが、自分でも嫌な性格だと自覚している。
良く芸能人に夢中になるファンやマスコミが、お目当てのスターのお目出度い出来事など(例えば結婚とか大きな賞の受賞とか)を祝福している姿などを見ると、信じられない気持ちになる。
別に悪意を抱くほどではないが、素直に祝福する気にはなれない。
ただ、スポーツ選手が大きな大会で活躍する姿には、何のわだかまりもなく純粋に喜べる。
この違いは何だろう?
自分に近い環境、たとえば友人や仕事の同僚や後輩、親戚縁者、近所の顔見知りなどの人たちの成功への受け取り方にも差がある。
自分に近い人たちの成功の中でも、自分の生き方と接点のない分野の成功には嫉妬は覚えない。
近所の人が豪華な家を新築したとか、会社の同僚が高価な車を買ったとか聞いてもなんとも思わない。
私の嫉妬心を掻き立てるのは、周囲の人望を集めるとか、ちやほやされるとか、私が評価する以上の注目を浴びる人に対してが多いような気がする。
これは、私の生き方の中で、他人からの評価を必要以上に求めてしまう傾向から来ているからかもしれない。
ノーベル賞やスポーツ選手の栄光に嫉妬を覚えないのは、研究の成果や優れた記録という具体的な根拠があるからだと思う。
芸能人などの成功に嫉妬を覚えるのは、私の知らない苦労はあるのだろうが、表面的な部分しか見ていないために、成果に値するような根拠を感じ取れないからだと考えられる。
私の嫉妬心は、私が評価していない人が高く評価されたり注目されたりすることに敏感に反応しているのだろう。
この醜い嫉妬心を抑えることは出来ない。自然に湧き上がって来てしまうからだ。
当然、この嫉妬心を良い方向に昇華させられればいいのだが、これがなかなか簡単ではない。
人は自分のことを棚に上げて他人の悪口を言うのは容易でも、他人の振りを見て我が振りを直すことは難しい。
私も他人への嫉妬を、自分の努力のエネルギーに変えるのが望ましいことと分かっていても中々出来ないでいる。
慰めとしては、こういう自分の醜い部分を自覚しているだけ救いはあるように思える。
歳をとっても足腰を鍛えた方が良いように、70歳を過ぎても、いや老いたからこそ、心を鍛え直さないといけないのだ。
醜い心が少しでも平らかになるように、ヤスリを掛け続けないといけない。
やはりここでも努力が必要なのだ。
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