
私は不当に評価されている!
子供の頃は足が早く、運動が得意だった。
思春期の頃はシャイなイケメンで勉強も出来た。
それが人生のピークだった。
「こんなはずはない!」
「俺はもっと出来るんだ!」
自分が思うほど、周りから評価されていないことを感じ始める。
絶頂の頃は、世界が自分を中心に回っているように思えた。それが、世界に振り回されている自分に変わっていく。
原因は分かっていた。
- 自分勝手で他人を思いやる心に欠けていた。
- 根性がなくて、我慢や努力をする気力に欠けていた。
- 欲深くて、現実を認める素直さに欠けていた。
全部、自分の責任。自業自得なのは分かっていた。
でも、本当の自分、表面には見えない自分、自分でも把握しきれない真の自分は、もっと別のものを持っているようにも思っている。
今の自分、現実の自分は低い評価しか得られていない。しかし、「本当の自分には、もっと秘めた力を持っているんだ!」という気持ちを捨てきれない。
私のこのモヤモヤした感情は、還暦(60歳)を超えたあたりから強くなり、古希(70歳)に至ると益々激しくなった。
何とかして、この空回りした心の歪みを、最後の覚悟(大げさですが)で気を引き締め直して、また地道な努力をしてみたい。
私の努力は、自分でも恥ずかしく思うほど長続きした試しがなかった。
でもこの歳になると、甘いことを言っていられなくなった。「いい加減に腰を据えて、一度でいいから努力してみろ!」という声が、自分の心の奥から聞こえてくる。
もし私の努力が本物だったら、不当な評価と思い込んでいることも少しは解消されるかもしれない。
私自身が良い方向に変化すれば、周りの評価も変わってくるに違いない。それが変わらなかったら、私の努力が上辺だけの偽物だということになる。
というわけで、私はこれまで中途半端に興味を持って、何度か試みた事、「こんなことが出来たらいいなあ」と思い学ぼうとして挫折した事、それでも諦めきれない事などを、もう一度初めからコツコツ勉強し直そうと思い立ったのだ。
自分は不当に評価されていると思い込んでいた世間知らずの馬鹿は、自分は変われると思い込んだ新しい馬鹿に生まれ変わって、馬鹿は馬鹿なりに努力してみたいのだー。ポテチン。
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