
私は善人に見られるのが最も簡単だと思っていた。
気の小さいのは良い人に見られやすいと感じていたし、出しゃばらないのは好かれると思っていた。目立たないのは欲のない人に見えたからだ。
でも、善人とはそういう人じゃないと、だいぶ歳を食ってから分かってきた。
私の思っていた善人は、お人好しで人から馬鹿にされても笑って受け流せる人だった。
でも、それは本当の善人なのか疑問に思うように変わっていった。
私の思っていた善人は、弱い者の言い訳に過ぎないような気がしてきたのだ。
周囲に振り回されるのは善人なのか?何でも同意するのは善人なのか?不満を言わないのは善人なのか?いつも機嫌がいいのが善人なのか?人を傷つけないないのが善人なのか?
臆病な私が、唯一の生きる拠り所にしてきたような善人像は、弱い心の隠れ家に過ぎなかったように思えてきた。
それじゃあ、本当の善人とはどんな人なのかと問われても、明確な答えはまだない。
善人とはこれだということは出来ないけれど、もっと強いものを心の奥に抱えている人のような気がする。
周りが何と言おうと、正しいと思うことを堅持しているような強い信念を持った人。かと言って、信念を他人に押し付けるような人じゃない。静かに一人で生きているが、信じるものを内に秘めて生きているような人。
もしその信念を踏みにじるような者が現れたら、烈火のごとく毅然として信念を守ろうとする人。
そういう人が、普段はへらへら笑っていて、些末なことには「どうぞ、どうぞ、お先にどうぞ」と言って人に譲っている。
そういう人が善人なような気がするのだ。
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