
恥ずかしながら、私はプログラミングに憧れて、この30年の長い間100回以上挑戦し、全て途中で投げ出して挫折し続けてきた。実に恥ずかしい。(^^;)
30才の時にパソコンもないのにBasicの本を1冊買い、数ページ読んだだけで、直ぐに飽きてしまった。35才の時にはデーターベースを少しいじり、40才のときにはVisualBasicを「これなら!」と夢中になりかけ、45才ではまたデータベースをいじくりだし、50才でRubyというものの匂いをかぎ、55才で日本語プログラミング言語に迷い、60才でLispという不思議な言語にまどい、65才でLogoはどうか?、Pascalはいいかも?C言語は如何に?、などと血迷い、70才にして途方にくれる。ああ恥ずかしい。
他にもあれこれ手を出しては全て中途半端な結果に終わり、私の本棚には、おびただしいプログラミングの古本が虚しく並んでいる。
それほどプログラミングに向かないなら、よせばいいのにという罵声が聞こえてくるが、「分かっちゃいるけど止められない」ときたもんだ。
私はソフトウエアエンジニアになりたかったわけでも、転職のためのスキルアップとかしたかったわけではない。
単純に、プログラミングという言語の美しさと、それを自由に操る神のような全能感に浸りたかったのだ。
無から有を生じさせる神の手に憧れ、言語の合理的なムダのない文字の並びに美しさを感じたからだ。
論理が正しくなければ1文字違っても動かない冷徹さ、それでいて誰にでも門戸を開いてくれている寛大さ、常に進化し続ける生命力。
プログラミングの勉強を通して、人付き合いの苦手な私は、間接的に社会と関わっていたような思いもある。
プログラミングの流行り廃りの向こうに、社会の大きな流れを感じていたことが今になると分かるような気がする。
プログラミングという森に遊んでいなかったら、私の人生は今よりもっと虚しかったに違いない。
私はプログラミングに遊んでもらっていたのだ。
ただ、70才を迎えた今、もう少し手応えが欲しくなった。もう少し集中して一つの言語を体に染み込ませたいと思うようになった。
様々な言語の香りだけだがかいだので、もうあれこれ迷うことに執着する心も薄れたきた。
とはいうものの、私はまで2、3の言語に思いを馳せている始末なのだ。とても一つの言語に絞りきれていない。まだ浮気心全快なのだ。
こんなことではこれまでの二の舞、三の舞になりそうだが、煩悩だから仕方がない。
色々矛盾するようだが、なるべく少ない言語に集中して、長続きさせ、手応えを感じられるようになりたい。
これまでの長い徒労が、少しでも役に立つように、できれば楽しく学べればいいと思う。
そうだ、今度こそ結果を求めず、楽しさだけを追求するつもりで挑戦しよう。いや、挑戦などと力まずに、楽しく長く続けよう。ポテチン。
コメント